株式会社ばんそう

BANSO CHANNEL キャリア編【エリートじゃない僕が"営業"にたどり着くまで】ばんそう営業部長の凸凹キャリア論:後編 株式会社ばんそう 営業 伊藤 佑馬

BANSO CHANNELのキャリア編。今回は株式会社ばんそうの営業部長、伊藤佑馬が、エリート街道ではない凸凹した人生経験から「営業は誰でも挑戦して成長できる仕事である」というメッセージを2回シリーズに渡ってお届けしていきます。

未経験でコンサル業界へ

食品原料商社での営業を経験する中で、「成果を出せば、それだけインセンティブや給与として自分に返ってくる環境で挑戦したい」と考え、外資系のリサーチ・アドバイザリー(コンサルティング)企業へ営業職として転職しました。アメリカ系企業への転職を果たしたのは、2022年6月のことです。

入社した企業は、サービスを提供するデリバリー側(コンサルタントやアナリスト)がインドや米国など全員海外のグローバル拠点におり、日本のクライアントと直接対話してビジネスを進める役割は日本の営業である私が担うという、明確な職種分担がなされている組織でした。業界未経験だったため右も左もわからない状態でしたが、「結果さえ出せばチャンスが巡ってくる。頑張ればなんとかなるだろう」という楽観的で根拠のない自信だけを胸に、未知の領域へと飛び込みました。

誰も取れなかったリスト

入社後に手渡された顧客(アカウント)リストは、決して恵まれたものではありませんでした。今振り返れば、過去に他の営業が何度アプローチしても結果が出せなかった不毛なリストや、かつて接点があったものの数年間取引が途絶えて休眠状態になっていた、実質的に「完全新規」での開拓が必要なリストばかりでした。

最初の1年間は、この難攻不落のアカウントリストを前に、どうすれば新しいお客様に響くアプローチができるのかを必死に考え、手探りで試行錯誤を繰り返しながらガムシャラに営業を続ける日々を送りました。

半年で新規受注

必死の試行錯誤と運の良さも味方し、新規開拓が極めて難しいとされるコンサルティング業界でありながら、未経験から最初の半年間で複数の新規プロジェクトを受注することに成功しました。

この予想以上の成果によって、社内での信頼を急速に勝ち得ることができました。B2B営業において、どのような顧客アカウントを受け持っているかは成果の出しやすさを大きく左右します。

最初は結果を出しにくい「誰も取れなかったリスト」ばかりを任されていた私でしたが、自力で新規受注を重ねて実績を示したことで、会社からよりポテンシャルの高い優良アカウントを少しずつ引き継がせてもらえるという好循環が生まれました。

外資系あるある

入社から1年半が経った頃、私のキャリアを大きく動かす転機が訪れます。米国本社から、ある部門の執行役員クラスの非常に偉い幹部が来日することになったのです。

外資系企業において、日本は安全で経費も使いやすいため、海外幹部が実績作りや「日本に行ってみたい」という理由から毎月のように来日するのは、ある種の「定番イベント(外資系あるある)」でした。

日本側のメンバーは、彼らの来日のたびにアテンド(お世話)や、幹部の「仕事をした実績」を満たすためのアポイント設定に追われ、辟易(へきえき)としていました。

さらに、英語を話せない日本の顧客と、英語しか話せない海外幹部との間で設定される会議は形骸化しがちで、本当にビジネスにつながるのか疑問を抱く営業も多く存在しました。

他の営業たちが面倒なアポ取りを敬遠する中、私は「これは貴重な機会であり、大きなチャンスになるかもしれない」と前向きに捉えました。この機会を無駄にしないよう、ほぼ1人で複数のお客様とのアポイントを設定し、2024年2月の来日期間中、懸命にアテンドをやり遂げました。

突然の引き抜き事件

熱心なアテンドを行った2024年2月の来日からわずか1ヶ月後の2024年3月、グローバル全体を揺るがす衝撃的なニュースが飛び込んできます。

私が日本でアテンドしたその偉い幹部が、なんと自らのチーム全体を引き連れて競合他社に引き抜かれ、突然移籍してしまったのです。その人物は執行役員クラスのキーパーソンであったため、社内では「誰が一緒についていくのか」「どこに移籍したのか」と大騒ぎになり、激震が走りました。

私も、せっかく日本で多くのお客様に会ってもらい、ビジネスになりそうな具体的な話が動き始めていた矢先だったため、自身のアテンドや努力がすべて無駄になってしまったのではないかと落胆し、非常に残念な思いを抱きました。

競合から届いたDM

突然の退職事件から約2ヶ月が経過した2024年5月頃、思いがけない連絡が届きます。その偉い幹部が移籍した先の米国系競合企業の人事部門から、私のもとに「日本拠点を新規に立ち上げるので、その責任者になってほしい」というダイレクトメッセージ(DM)が届いたのです。

私は、2月の来日時における誠実な人柄や徹底した仕事ぶりが、その幹部の心に残り、推薦につながったのだと確信しました。当時の日本市場において、その競合企業はまだ拠点もなく完全にゼロからのスタートであり、極めて挑戦的でハイリスクな選択肢でした。

しかし私は、これを自身のキャリアにおける大きなチャンスと捉え、「もし失敗したとしても失うものは何もない」という覚悟で、この大役に挑戦することを決めました。

たった一人で拠点立ち上げ

2024年6月に移籍し、私は文字通り「たった1人」で日本拠点の立ち上げに乗り出しました。立ち上げといっても実態は、日本国内で自社サービスを買ってくれるお客様をゼロから探す「完全な新規開拓営業」を1人で行うことでした。

扱う領域は、5年後、10年後、あるいは15年先を見据えた「次世代テクノロジーや新規事業領域」にフォーカスした、ニッチなリサーチ・アドバイザリー業務でした。

対応できる他社が少ないニッチな分野だったこともあり、1人でマーケティングから営業活動のすべてをこなすという極めて過酷で苦しい日々を送りながらも、最初の1年間で多くの新規プロジェクト案件を獲得することに成功し、順調な立ち上げを果たしました。

そして、ばんそうへ

順調な滑り出しを見せた拠点立ち上げでしたが、移籍から1年半が経った2025年11月、私はその企業を退職し、「株式会社ばんそう」へ合流するという新たな決断を下しました。

この決断には、外資系企業としての「組織の限界」と、ソロプレナーとしての「個人の限界」という2つの背景がありました。1つ目は、日本での私の営業成果が良くとも、米国4人、イギリス1人、日本1人の計6人で構成されたグローバル営業チーム全体が、米英での売上不振と重い人件費によって赤字に陥っていたことです。

日本で成果を上げ、組織の体制強化やマーケティング施策のアイデアを提案しても、米国の完全なトップダウン経営により予算が一切回ってこず、日本の判断が全く重視されない構造に限界を感じていました。2つ目は、マーケティングから営業活動のすべてを1人でこなす中で、自身のアイデアや成長のスピードが自分の能力の範囲内に限られてしまうという限界を痛感したことです。

仕事とは、異なる強みを持つメンバーとの掛け合わせがあってこそより大きな価値を生み出せるものだと実感し、これ以上の伸び代を作るために次のステップを模索し始めました。そんな葛藤のタイミングで出会ったのが、ばんそうの代表を務める松田氏でした。

「中堅・中小企業を支援することで日本全体を元気にする」というばんそうの明確なビジョンに深く共感し、さらに会社として「これから営業組織を立ち上げていく」という絶好のフェーズに魅了されました。

これまでに培った「たった1人で新規開拓を行い、拠点を立ち上げた経験」をそのまま還元できると確信し、運命的な縁を感じてばんそうへの参画を決めました。

最後に

未経験から外資系コンサル業界へと飛び込み、ゼロからの開拓と波乱に満ちた挑戦の軌跡を歩んできた私は、現在、ばんそうの未来を作る新たなフェーズに挑んでいます。ばんそうでは、これから営業部門をさらに強化し、組織を拡大していく計画が立てられています。

これまでの私の泥臭い挑戦や苦難、そして成功体験を発信することで、株式会社ばんそうという企業や、営業という仕事そのものに少しでも興味を持ってくれた人と、ぜひ気軽に繋がり、語り合いたいと思っています。

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